泣けない子どもたち
「子どもが笑顔なのが怖いんです。」
東日本大震災の被災地で、親や教師がそう言うそうです。名古屋在住のタレントで書家でもある矢野きよ実さんが、この五年間、被災地を訪ねては子どもたちと書で交流して来て、現地で聞いた言葉です。
矢野さんは言います。「大人が元気なら、子どもは反抗できる。でも大人がつらくて泣いていると、子どもは我慢して笑っているんですよ。」(東京新聞2016年3月21日「心にふれる話」より)
夫婦喧嘩
私たち夫婦は、子どもたちの前で喧嘩をしないよう気をつけています。でも、そうできない時が(しばしば?!)あります。その時には、子どもたちは、とても不安そうな顔をしたり、絵本などを読んで静かにしています。
また、子どもたちが起きて来る前や学校から帰って来る前に、生じている夫婦の心のすれ違いを解決しようとします。でも、それができないまま、子どもたちを迎えなければならなくなり、何とか気づかれないよう努めますが、不思議です。ぎこちなさやいつもと違う雰囲気を感じ取るのでしょうか。子どもたちは、妙に行儀が良かったり、反抗したりしないのです。
「大人が元気なら反抗できる。でも大人がつらく泣いていると、子どもは我慢して笑っている。」本当にその通りだと思うのです。
神の前で獣のよう
旧約聖書に、詩篇という書物があります。詩篇は、詩の集まりで、喜びの詩、感謝の詩、嘆きの詩が記されています。
ある詩人は、心が苦しく突き刺された時、「私は、愚かで、わきまえもなく、あなた(神)の前で獣のようでした。(詩篇73:22)」と歌っています。
詩人は、自分の心を取り繕うことなく、神の前に注ぎ出しているのです。怒り、嘆き、恐れ、そういうものをすべて、神に祈っています。
天の父よ
神は、私たち一人ひとりをお造りになられました。しかし、私たちは、神に背を向けています。神は、その私たちを愛し、私たちの罪の身代わりに独り子イエス・キリストを十字架にかけ、すべての罪を赦し、神の子どもとして下さいます。
イエス・キリストは、神を「天の父よ」と呼ぶよう教えられました。「天の」:神は天地万物を造られた偉大なお方であられ、また「父よ」:「父さん」と呼び、何でもお話しできる近くにいますお方であられます。
嘆きも、恐れも、愚痴もすべて受け止めて下さる神に、イエス・キリストを通し、「天の父よ」と呼び、祈り、一番素直な自分で在ることができ、そして新たな一歩を踏み出すことができるのです。
6月11日(土)12(日)、福田真理牧師を迎え、特別集会を行います。天の父なる神のご愛とこのお方とともに歩む幸いをご一緒に知ることができたらと願います。心よりお待ちしております。