2017年春号「『ただ在る』ことの大切さ」

「ただ在る」ことの大切さ

「子ども・若者の生活に、さまざまなことをする“ための”場所が増えている。」

関西学院大学准教授である貴戸理恵氏は、東京新聞のコラムでそう指摘されています。その一つ目の例として、保育園や学童保育において、市場化の流れにより、「指導員が英語で話しかける」など付加価値をアピールするものが増え、ただ生活するだけではなく、何かを身につける「ための」場所となっていることを挙げています。二つ目の例は、勤務先である大学でのことで、授業では飽き足らず「もっと学びたい」という学生のために「課外の学びの場」が用意され、留学やボランティア活動、資格取得などのサポートも充実しており、何かやりたいと思えば、その「ための」受け皿は多様にあることを挙げています。でも、その一方で「何かしなければ」という焦燥に、学生たちはさらされているように見えるというのです。

 

「何かのためにする」ことばかりがほめ上げられ、「ただ在る」ことがその価値をおとしめられるなら、息苦しくはないか。子ども・若者には「何の目的もなくただそこに居て、話に耳を傾けてもらい、目的や能力にかかわらず存在を認めてもらう」場所が必要だ。「ただ在る」ことの意義をもう一度見つめなおしたい。そんなコラムでした。

 

存在の喜び

「存在の肯定」ということであり、「存在の喜び」ということでしょうか。

貴戸氏も述べておられるように、何かをなし、それが評価され、自己肯定ができていくという面もあるでしょう。でも、やはり、その前に、何ができてもできなくても、成功しても失敗しても、人に評価されてもされなくても、「私の存在は尊い」との内なる確信が大切であり、それが何かをなしていく力となるでしょう。

 

子育てにおいて、最も大切なことは、子どもに向かって「君がいてくれて本当に嬉しい」ということを伝え続けることだと、ある書物に記されていました。

 

神の目には

聖書を見ると、神は私たち一人ひとりを創造し、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と仰せられています。その神に背を向け、神から離れ、「放っておいてくれ」と歩んでいる私たちを、神は愛し、独り子イエス・キリストを十字架に架け、神に立ち返ることを断腸の思いで待っておられるのです。

 

聖書のキーワードは、「にもかかわらず」でしょう。神は、私たちがどんな状態にもかかわらず、私たちの存在のど真ん中を愛しておられるのです。その神のもとで「あなたを愛している」との愛の言葉と「あなたの罪はキリストによって赦された」との赦しの言葉と「恐れなくてよい。わたしはあなたとともにいる」との希望の言葉を聴きながら、今日を生きていくのです。

 

神の真実な愛により存在の喜びと生きる力をいただきながら、神に委ねられた所で委ねられた務めを、今日、精一杯なさせていただきましょう。

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