2018年夏「港」

実家の有難味度

「東名35キロ、中央道30キロの渋滞」

そんなニュースがラジオから流れます。そうです。お盆の時期の帰省。日本の夏の風物詩の一つと言えるでしょう。荷物をまとめ、お土産を用意し、渋滞の中へ車を突入させ、何時間もかけて帰省する…。私たち家族も、夏は、妻の実家信州伊那へ、冬は、私の実家静岡浜松へ帰省します。

18歳で浜松を離れ、関東に来て約25年。毎年帰省しておりますが、「独身時代」「結婚後」「子どもが与えられた後」とそれぞれの状況において実家の有難味度が変わってきたように思います。

 

今は、それほどでもありませんが、息子が生まれての2~3年は、数日の滞在を終え、実家から守谷へ戻る時、70mほど進み、車のバックミラーに映る親たちや兄一家を見て、夫婦とも涙が出てきました。妻が一言。「大変な時ほど、家族の温かみが胸にしみるね。」

自分たちの帰りを喜び、そのままを迎え入れてくれる人たちがいる。その愛の港で船を休め、再び出航します。

 

神は我らの避け所

「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。(旧約聖書)」イエス・キリストは、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と仰せられています。

人は、神との交わりに生きる者として神に造られましたが、神に背を向け、神から離れ、真の休み場を失っております。

しかし、イエス・キリストは、神に背く私たちの罪の身代わりに十字架で死んで下さいました。それは、私たちを神のもとへ立ち返らせ、真の安らぎの中を歩ませて下さるためです。

 

「痛いかい?」

小さな男の子が、ある夕方、指のかすり傷を父親に見てもらおうとしました。

読み物をしていた父親はいらだって、「なんだね、おとうさんがどうにかしてやれるとでも思っているのかい。」と言いました。

すると、その男の子は、「できるよ。おとうさん。ただ、『痛いかい?』ってだけでも言えるでしょ。」と答えたそうです。

 

港に身を寄せ、愛を運ぶ船となって生きる

神に立ち返り、重荷をおろし、神の平安の中を歩んでいく、そして、その安らぎの中で、私たちが伴侶、子ども、親、となり人に愛を運ぶ船となって歩んでいくのです。

「あなたは、どこにいるのか。」と、神は呼びかけておられます。

 神を港として信頼し、心満たされ、私のとなり人に仕えて生きる喜びの歩みへと導かれて参りましょう。

 

守谷聖書教会

牧師 鈴木洋宣

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チャペルタイムズNo48(2018年夏号)
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