制服がまぶしい
この春、息子が伊奈特別支援学校の小学部を卒業し、中学生になりました。先回のチャペルタイムスに成長につれて息子の障碍を少しずつ受け入れることができるようになったと記しました。
しかし、心揺れた出来事がありました。地域の小学校の卒業式の日、息子と家の近くを散歩していると、中学校の真新しい制服を着て卒業式に向かう子と幾人か遭いました。その制服の姿が随分まぶしく見えました。知っている子もいたので「卒業式?おめでとう!!」と言いながら、「散歩するのではなかった」と落ち込みました。
比較意識と創造意識
C・S・ルイスは、「悪魔が人間を破壊するために用いる最も強力な武器は、比較意識だ」と述べています。
自分の容姿、能力、性質に留まらず、伴侶や子どものことも他者と比較し、劣等感にさいなまれてしまうことがあります。
劣等感が全て悪いものではないでしょう。不足を覚えることが成長へと繋がることも多々あるからです。でも、絶えず人と比較し、自分を、伴侶や子どもを根本において受け入れられないのであるならば、責めや妬みに捕らわれた日々となってしまうでしょう。
聖書は、人が絶えず比較の中で生きるのは、創造主なる神から離れ、神との縦の関係を失っているためと告げます。そして人は本来与えられた素晴らしい性質や能力を活かすことができない状態となっています。
人と比べないで
「瞬きの詩人」と呼ばれた水野源三さんは、子どもの頃、赤痢にかかって以来、肢体不自由となり、言葉も話すことができなくなりました。十二歳の時、聖書に出会い、イエス・キリストを信じ、その後、瞬きで五十音図を指し示して詩を作るようになられました。
ある時、水野さんの所に小学一年生の男の子が訪ねて来ました。この男の子は、目が段々と見えなくなっていく病におかされていたのです。水野さんは、瞬きでこの少年に伝えました。「人と比べないで生きていってください。」
ニーバーの祈り
神さまは、私たち一人ひとりに「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43:4)」と仰せられています。そして私たちをご自身の愛の中へと立ち返らせるために、御子イエス・キリストを十字架に架けて下さいました。神さまの愛の中で、自分の弱さを受け入れつつ自分を喜び、隣人の弱さを受け入れつつ隣人を喜び、与えられた性質や能力を十分に活かすことができる歩みが与えられていくのです。
「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。(ラインホルド・ニーバー)」
守谷聖書教会
牧師 鈴木洋宣