あなたはどこにいるのか

 

コロナ禍や紛争の悲しみの中で

コロナ禍の中に置かれ二年が過ぎました。感染者数が減ってくると少し安堵し、異なる株のウイルスが流行ってきたと聞くと不安や失意の思いとなります。

また今私たちはウクライナの地における紛争の報道を見聞きし、本当に心を痛めております。

 

何故こんな悲しみや苦しみがあるのか、神がおられるならばどうしてこんな理不尽なことを許されるのかとの声を耳にすることがあります。

しかし、聖書は「神は何故こんな悪を許すのか」との思いに満つる私たちに、「私たち人間の罪が作り出したものだ」と静かに語りかけています。ちょうど「あなたが悪い」と人差し指を相手に向けた時に、中指から小指は自分の方を向いているように。

 

ゆがんだ人間、そして世界

聖書は告げます。神がこの世界を創造し、人間のためにすべての環境を備えられ、私たち人間を男と女に創造されました。神は人を喜び、人は互いを喜びました。神は人と世界をご覧になられ、「非常に良かった」と喜ばれました。人と世界は素晴らしいものとして造られたのです。

 

神は人をエデンの園に置かれ、用意されたすべての果実を思いのまま食べてよいとし、しかし園の中央にある善悪の知識の木からは食べてはならないと命じられました。それは意地悪ではなく、ご自身が主権者であることを示し、その主権者なる神の下で生きさせ、真の祝福の中を歩ませるための恵みの命令でした。

しかし、人は神に背き、善悪の知識の木の実を食べてしまいました。神の下に生きることを嫌い、自分の思いのままに生きようとすることが、聖書が告げる「罪」です。 

 

罪の結果、人は神との関係が壊れました。また人との関係が壊れました。相手への恐れや責めが生じ、相手を自分の思い通りにしようとし互いに争うようになりました。また自然との関係が壊れました。人間は思いのままに自然を支配しようとし、自然はゆがめられ、恐ろしい災害などをもたらすようになりました。 

 

あなたはどこにいるのか 

人はすべての恵みを備えられた神を裏切りました。その人間に対し神はどうされたのでしょうか。怒り関係を切り捨てても当然です。しかし、神は人に呼びかけられたのです。「あなたはどこにいるのか(創世記3:9)」これ以来、神は私たち人間に立ち返ってくるようずっと呼びかけておられます。

 

神は私たちを愛し、神の独り子イエス・キリストを私たちの身代わりに十字架に架け、私たちの罪を全く赦し、神に立ち返る道を開いてくださったのです。

5世紀の神学者アウグスティヌスは記しています。「人は神に向けて造られたのだから、神のうちに憩うまでは真の安らぎを得ることはできない」「あなたはどこにいるのか」神はあなたを待っておられます。神の愛の中へ一歩を踏み出してみませんか。

 

守谷聖書教会

牧師 鈴木洋宣