聖書箇所 創世記9:8~11
9:8 神は、ノアと、彼とともにいる息子たちに仰せられた。
9:9 「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。そして、あなたがたの後の子孫との間に。
9:10 また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。
9:11 わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」
説教要旨
この年「愛を知り愛に生きる教会」と主題を掲げ、これまで神の「創造の愛」を数回に渡って見て参りました、本日からは神の「摂理の愛」を見て参ります。「摂理」とは「配慮」と言い換えることができるでしょう。本日は「摂理の愛」の中の「保持の愛」をご一緒に覚えて参ります。
神は地上に人の悪が増大し、人の心に図ることがみないつも悪に傾くのをご覧になられ、深く心を痛められ、地を裁かれ、地を新しくしようとされました。地が悪に染まっている中で、ノアは神を畏れ神とともに歩んだ者でした。神はノアとその家族に箱舟を造るよう命じられ、ノアは神の命令に従いました。ノアと家族が箱舟に入ると、大雨が続き、大洪水となり、ノアとその家族、そして箱舟に入れられた動物のみが死を免れたのです。神はノアと「契約」を結ばれました。再び地を滅ぼすことはしない、保ち支えるとの契約でした。「保持の契約」と言われます。神の一方的な宣言による「憐れみの契約」でした。そして、神は地の続く限り年毎の季節の繰り返し、毎日の昼と夜との繰り返しを絶やすことがないと仰せられました。(8:22)自然科学的に言うならば、神は地球の自転と太陽の周りを回る公転を維持し、季節を正しく巡らし、昼と夜を繰り返し、人間、そして生き物たちの環境を保持してくださると約束なされたのです。
このノアとの契約以来、神はこの地を保ち支えられておられます。人間が神に背いていても、神は世界を保ち支えておられます。(マタイ5:45)神が一時でもこの世界を保つ働きをお止めになられたならば、この世界は一時も保たれていないのです。自然法則の背後に神の御手があるのです。私たちはなかなかそのことに思いが至りません。当然のように太陽が昇り朝が来て太陽が沈み夜を迎え、当然のように大地を踏み生活をし、当然のように空気を吸い生きています。でも、それは当然ではなく、神が今働いてこの世界を保ってくださっておられるのです。この考え方とは異なる考え方が「理神論」との考え方があります。神は世界を創造されたことを認めるが、でも「造りっぱなし」で一切関与されないとの考えです。 しかし、そうではありません。神は世界を造られただけではなく、保つために今も働いておられるのです。世界の見え方が大きく変わってくるのではないでしょうか。太陽が昇るのも雨が降るのも、大地を踏んでいることも神の愛の恵みです。この地を保っておられる神への感謝と礼拝が生まれてきます。
そして、私たちも神に造られただけではなく、今命与えられ生かされているのです。神は私たちを母の胎の内で形造りこの世に誕生させ、誕生したら単に私たち自身が生きているのではありません。神が私たちを生かしておられるのです。(使徒17:25、28) 私たちは偶然そして自分で生きているのではなく、神に生かされているのです。今日生きていることは神の御心です。私たちが神に生かされているのは、神はご自身に立ち返る時を私たちに備えてくださっておられるのです。神は私たちが神から離れていることを深く嘆き、私たちが神の御子イエス・キリストを信じ罪赦され永遠のいのちを得ることを心から願っておられます。また神に生かされているのは、私たちが神を称え、神のご栄光を現すためです。神はノアに堕落前に人に与えられた地を治める使命を再び委ねられました。(9:1~2)この地で神から委ねられた仕事をなしていくために生かされているのです。今自分が置かれた場は神から委ねられた働きです。家族に仕え歩むことも、仕事をなすことも、また具体的に何かができなくても神に賛美し隣人を思うことも神に委ねられた使命です。
神は世界を保ち支え、あなたを私を生かしおられます。5月、新緑や花の美しさを目にしつつ、保持の恵みを神に感謝し、神に委ねられた務めをなし神の栄光を現すひと足ひと足の歩みとさせていただきましょう。