聖書メッセージ『主を前に』(詩篇16:1~11)

聖書箇所 詩篇16:1~11

<ダビデのミクタム。>

16:1 神よ私をお守りください。私はあなたに身を避けています。

16:2 私は【主】に申し上げます。「あなたこそ私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません。」

16:3 地にある聖徒たちには威厳があり私の喜びはすべて彼らの中にあります。

16:4 ほかの神に走った者の痛みは増し加わります。私は彼らが献げる血の酒を注がずその名を口にいたしません。

16:5 【主】は私への割り当て分また杯。あなたは私の受ける分を堅く保たれます。

16:6 割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい私へのゆずりの地です。

16:7 私はほめたたえます。助言を下さる【主】を。実に夜ごとに内なる思いが私を教えます。

16:8 私はいつも【主】を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。

16:9 それゆえ私の心は喜び私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。

16:10 あなたは私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。

16:11 あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり楽しみがあなたの右にとこしえにあります。

 

説教要旨

本日は2023年年間聖句(詩篇16:8)の御言葉にご一緒に聴いて参ります。年間主題は「クリスチャンの幸いに生きる教会」です。この詩篇は、ダビデがサウル王に命を追われていた状況の中での歌と考えられます。(v1)ダビデは敵国ペリシテ人の巨人ゴリヤテを倒し、イスラエルの民の間で人気が急上昇し、サウル王はダビデを妬み、怖れ、命を狙うようになりました。どこに逃げようともサウル王の手が伸びました。ダビデは身も心も休まることがない日々でした。それは二、三週間ではないのです。十数年に渡って苦しみの中に置かれたのです。私たちも苦しみの中に置かれることがあります。人間関係の痛み、家族が苦しみの中に置かれること、自らがなさなければならない務めの厳しさがあります。その苦しみが一週間や一ヵ月ではない、数ヶ月、数年に及ぶこともあるでしょう。

 

しかし、その中でダビデの主なる神への信頼(信仰の質)は引き上げられたように見えます。「あなたこそ 私の主(v2)」「主(v2)」とは「契約を結ばれた神」「ともにおられる神」を表しています。そして「私の主(v2)」と「私とともにおられる神」と歌っています。「私の幸いは あなたのほかにはありません(v2)」主がともにおられることこそ私の幸いとの信仰です。勿論状況の回復を願わないわけではありません。「神よ 私をお守りください(v1)」でも、私の幸いはサウル王から解放され安心することですとは歌っていません。「私の幸いは あなたのほかにはありません(v2)」このことがv5とv6で展開されています。「割り当て分(v5)」とは、イスラエルがカナンの地に入った時、各部族に土地が割り当てられました。しかしレビ族には土地が割り当てられず、主ご自身が割り当てとされたことを受けています。目に見える解決や変化ではなく、主がともにおられることこそ私への割り当て分と歌っております。そして、この信仰は孤立した信仰ではなく、聖徒たち、神の民(教会)の交わりの中で覚えられていたのです。(v3)私たちは安定した状況や苦難の解決を願います。主の守りを祈ります。しかし、私たちは私の幸いは苦しみのない状況です、○○を手に入れたことですではなく、「主です」「主がともにおられることです」との信仰へと育まれ導かれていきたいと願います。

 

ダビデは、いつもこの信頼に立っていたのでしょうか。(v7)「夜ごとに(v7)」となっています。「夜」とは、独り静まる時間を表しています。夜ごとに主は助言を与えてくださる、内なる思いが私を教え気づかせてくださるというのです。何を教え気づかせてくださるというのでしょうか。主はともにおられ、今の状況が主の御手の中にあるということです。(v2、v6)即ち、何も恐れがないダビデではありませんでした。失意がないダビデではありませんでした。しかし、夜ごとに主は気づかせてくださり、主への信頼に立たせられたのです。そして信頼の決意を新たに歌います。「私はいつも 主を前にしています(v8)」自覚的に意識的に自分の前に主を置くとしたのです。でも、その前提、土台があります。「主が私の右におられる(v8)」私が主を自分の前に置いて初めて主が私の前におられるのではないのです。心が疲れ果てたときも身が弱ったときも主を見失ってしまっている魂の状態のときにも主が私の右におられるのです。「右」とは「保護」「守り」を表しています。では、主がともにおられ、私たちが私たちの前に主を置く交わりはどのようなものをもたらすのでしょうか。安定(v8)、喜び(v9)、安らかさ(v9)です。主が魂を力づけ引き上げてくださるからです。(v10)それは長い苦しみや戦いの中で「とこしえに(v11)」あります。(v11)「私をお守りください(v1)」主が苦しみの状況に逃れの道を備えてくださるよう切に祈っていきましょう。しかし、クリスチャンの真の幸いは、主が私たちの右におられることそのものです。新たな一年、クリスチャンの幸いにともに生かされていきましょう。