聖書箇所 Ⅰサムエル記22:1~5
22:1 ダビデはそこを去って、アドラムの洞穴に避難した。彼の兄弟たちや父の家の者はみな、これを聞いてダビデのところに下って来た。
22:2 そして、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。約四百人の者が彼とともにいるようになった。
22:3 ダビデはそこからモアブのミツパに行き、モアブの王に言った。「神が私にどのようなことをされるか分かるまで、どうか、父と母をあなたがたと一緒に住まわせてください。」
22:4 ダビデは両親をモアブの王の前に連れて来た。彼らは、ダビデが要害にいる間、王のもとに住んだ。
22:5 預言者ガドはダビデに言った。「この要害にとどまっていないで、さあ、ユダの地に帰りなさい。」それで、ダビデはそこを出て、ハレテの森へやって来た。
説教要旨
ダビデはヨナタンからサウル王が本気で自分を殺そうとしていることを知らされ、ヨナタンと別れた後(20:42)、恐れと苦しみの中、主への信頼を失い奔走しました。祭司アヒメレクの所に行き、偽りを言い、「食べ物」と「剣」を得ました。(21:1~9)身の丈に合っていないゴリヤテの剣のはずでしたが、「それにまさるものはありません。私に下さい。(21:9)」と述べました。ペリシテのガテの王アキシュのところに行き、アキシュの家来たちに騒がれると、気が変になったふりをして逃げました。(21:10~15)アドラムの洞穴に避難し、家族の者などが集まって来て、そこで危険を感じ考え、モアブの地に行き、モアブの王に両親を委ねました。しかしそれは主の御心に反していたようで、預言者ガドを通しユダヤの地に戻されました。(22:1~5)いずれも主への信頼を失い、ただ自分の知恵によって進み、見える物や人をひたすらに求め身を寄せたダビデの姿でした。
しかし、主はそのようなダビデに預言者ガドを通して語られ、ダビデは主への信頼が取り戻されていきました。「それで、ダビデはそこを出て、ハレテの森へやって来た(22:5)」ダビデはユダの地に戻りました。主に立ち返り、主への信頼を取り戻したダビデでした。主に信頼し従う信仰の歩みは主を一切見失わないことではありません。失敗のないことではありません。御言葉が語られた時、その御言葉に聴き従うこと、主に立ち返ることです。主は右におられる、主は守ってくださるとの信頼です。そして、摂理の主への信頼は、続く出来事の中でのダビデの言葉に表されています。自分が祭司アヒメレクに偽りをなしたことで、アヒメレク一家がサウル王に殺されてしまいます。(22:6~19)サウル王の手から逃げることができたアヒメレクの息子エブヤタルがダビデのところにやってきます。ダビデはエブヤタルに自分の過ちを正直に認めました。しかし、続いてダビデは告げました。「…私と一緒にいれば、あなたは安全だ(22:23)」通常に考えるならば、自分と一緒にいたならば危険が増す、私から離れていなさいということではないでしょうか。しかし、ダビデはガドの言葉を受け主に立ち返り、自らの大きな失敗から深く教えられ、主が必ず最善をなしてくださる、益としてくださるとの信頼があったのです。一連の出来事を経てダビデは歌っています。「正しい人には苦しみが多い。しかし、主はそのすべてから救い出してくださる。(詩篇34:19)」
ダビデが前にしていた主とは、「私の右におられる主」「守ってくださる主」でした。神は摂理の神です。神は生きておられ、神を愛する者たち(それは主を見失わないことがないとか、失敗がないということではなく主に立ち返り信頼していく者たち)に良きをなしてくださいます。決して悪が悪で勝利することなく、神の栄光を現す御業がなされていきます。主日礼拝は主に立ち返るときです。主は恐れる私たちに語られています。奔走する私たちに語られています。自らの知恵で歩み失敗し苦しみを負っている私たちに教えられています。今主の御声を聴くときです。苦しみの中で焦り、人を頼り、自分の知恵に任せ、歩もうとしていないだろうか。エポデが見えながら、即ち主の前に静まり御言葉に聴くよう招かれているのを薄々気づきながら剣を手に取っていることはないだろうか。(21:9)「神(22:3)」という言葉を使いながら、主を待ち望むこと、主への期待を失ってはいないだろうか。失敗がただ失敗だと伏せていないだろうか。主はご自身に信頼し従う者を決して見放さず、すべてのことを合い働かせて益としてくださいます。ダビデが主への信頼を取り戻し告げたエブヤタルへの言葉は、私たちを愛し身代わりに十字架で死なれ復活されたイエス・キリストが私たちに語られている言葉のように思えてきます。「私と一緒にいなさい。恐れることはない。私のいのちを狙う者は、あなたのいのちを狙う。しかし私と一緒にいれば、あなたは安全だ。(22:23)」