聖書メッセージ『私たちの助け主・聖霊』(ヨハネ14:16~17)

 

聖書箇所  ヨハネ14:16~17

14:16 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。

14:17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。

 

説教要旨 斎藤成美師 

IIコリント5:17により、まったく新しくされたのですが、古い人がまだ生きていて、時々負けてしまうのです。それをよく知っているキリストは、助け主を送り、内住させてくださった。その助け主によって、私たちは古き人と闘うことができ、きよく生きることが出来るようになる。

 

(1) < パウロと聖霊の働きを見る。(使徒19:21)>

パウロが第3伝道旅行でエペソにいた時、聖霊は一つのことを示された。それは、エルサレムに行き、それからローマに行き、更にはイスパニア(スペイン)に行くことである。この事については、パウロがローマの教会に宛てた手紙で明らか(ローマ15:22-25)。パウロは、いつ、どのようにして聖霊に感じて、神の御心を知ったのか?詳細は解らない。個人個人に働く聖霊であり、その時、その時に違うからである。ただ、明確なのは、パウロは、神からの御心として確信を持てたこと、行動に移したということ。聖霊は、「気がつかさせる」。あるいは、「体験を通して何かを悟らせる」。ローマの教会の成長のニュースを聞いたことから、あるいは、当時既にローマに大きな影響を与えていた人物達がいるイスパニアを知ったことからか。詳細は解らない。

 

(2)<ツロの教会のクリスチャンたちと聖霊(使徒21:4)>

船でイスラエルの北の玄関口ツロ港に着き、ツロに七日間滞在した。ツロの教会でパウロの計画があかしされた。それを聞いた人たちは、パウロに「エルサレムには行くな」と毎日のように繰り返し助言した。「御霊に示されて」とある。聖霊は、パウロに「行け」と言い、他の人たちには「行かせるな」という、混乱を招くような矛盾したことを言うお方ではない。そうすると、ここはどう言う意味になるのか?ギリシャ語原文では「御霊によって」は、「δια(ディア) 」(通して)という前置詞が使われている。エペソでのパウロの場合は「εν(エン)」(内に)という前置詞が使われている。使徒の働きはルカが書いた。ルカは、どういう意味で、「εν」 と書き、また「δια」と書いたのだろうか?ギリシャ語では、「御霊によって」と「御霊を通して」では 違いがある。パウロは御霊の働きで、直接神の御心を悟った。ツロの教会では、パウロから示された神のご計画を聞いた。ツロのクリスチャンたちは、聖霊によって受け止めることよりも、人間的な感情で反応し、エルサレム行きを反対した。パウロを愛するがゆえで、人間的には決して間違っていない。しかし、神の前には別の道がある。聖霊が予め示したその真意は、パウロのあかしを聞いた人々は、祈りを共にし、共に働いてほしいので、予め話したのである。単に祈りをもって支えるというだけでなく、祈りを共にすることによって、宣教活動者の働きに預かり、神の喜びに預かること、これが神の道である。

 

(3)<あなたと聖霊の働き>

パウロの伝道旅行の計画を知ったツロの人々は、どうすればよかったのだろうか?それは、私たちにも関係してくることである。①パウロから「よく聞く」ことである。そこに聖霊は働く。②「祈る」ことである。そこに聖霊は働く。③「信仰、信じる」ことことである。そこに聖霊は働く。聖霊は、私たちに教え、諭そうとされる。聖霊から示された時、私たち不安や恐れたりすることがある。その場合、私たちは、その不安や恐れを拡大するのではなく、祈るべきである。すると、道が開ける。あるいは、別な道へと導かれる場合もある。聖霊は教える、諭す側。私たちの側は、判断する側、間違いのない判断のために、聖霊は働こうとしている。