聖書箇所 詩篇38:13~16
38:13 しかし私は聞きません。聞こえない人のように。口を開きません。話せない人のように。
38:14 まるで私は耳が聞こえず口で争わない人のようです。
38:15 まことに【主】よあなたを私は待ち望んでいます。わが神主よあなたが私に答えてくださいます。
38:16 私は思いました。彼らが私のことで喜ぶのではないか。私の足がよろけるとき私に対して高ぶるのではないかと。
説教要旨 斎藤成美師
「沈黙は金なり」と言われますが、今の時代は死語のようです。黙っていると損をしてしまうと言うことで、この語は尊ばれません。「鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」という名言を見つけました。江戸時代の恋歌の一つだそうです。しかし、この内容は、主張や発言を強引にするより、静かに蛍のように明るく光り輝く姿は、神を信じる者の姿ではないでしょうか。
今日は、黙った人を紹介します。詩篇38章13節〜14節に、その人は歌っています。「しかし私は聞きません。聞こえない人のように。口を開きません。話せない人のように。まるで私は耳が聞こえず口で争わない人のようです。」歌人はダビデです。反論したい。しかし黙ります。正しさを主張したい。しかし沈黙の生活を送りました。それは、苦しい苦しい生活です。
ダビデは、どのような経験をしたのでしょうか。彼は若くしてサウル王の家来となりました。彼は活躍し人々から称賛され、話題の人となりました。人々は歌いました「サウルは千を打ったが、ダビデは万を打った」(Ⅰサムエル18:7)。サウル王はダビデに嫉妬し妬み始めました。それがエスカレートして、ついにサウル王は、精神的な病気になり、ダビデの命を狙うまでになりました。これに対して、ダビデは沈黙したのでした。ダビデは、神が立てた王に手を出してはいけないと、サウル王に従い、自分は逃げ、町を離れ荒野で生活します。ダビデが正しいとする人たちが共に荒野で生活するようになりますが、サウル王の追手から逃れる逃亡生活です。ダビデは反論したい時もありましたが、それをすると失敗に終わり、返って他人に迷惑をかけるまでにいたりました。
ダビデは、どうして自分自身の危険と隣り合わせにありながらも、沈黙を守ったのでしょうか。それは、彼は神を知っていたからです。神に従っていたからです。彼はこう告白しています、「まことに主よあなたを私は待ち望んでいます。わが神主よあなたが私に答えてくださいます」と。全能の神が私を助けてくださる。いつも救い出してくださるという信仰に立ち、逃げることを選びました。すごいですね。自分が悪くないのに、損する方を選んだのでした。ダビデは、人間の世界では沈黙を守り、神の前には叫びました。「まことに主よあなたを私は待ち望んでいます。わが神主よあなたが私に答えてくださいます」(21節、22節)。ダビデは、ひたすら神が働くのを待ちました。私達の世界にも多くの闘いがあります。不満があります。反論したい。しかし、神の働きを待ち望むが故に沈黙します。こういう生活は、神を知り、神に従う時出来るのです。必ず正しさは明らかにされると信じて待つのです。
私達を不安に陥れる事柄はいっぱいありますが、一つは「老化」です。私達から一つ一つ奪って行きます。目が見えづらく、耳が聞こえなく、歯が一本取れた、二本取れた。入歯になった。病気が加わる。罪の体は失われていきます。残るは「不安」です。癌で一生を閉じようとする婦人がいます。ある日、娘さんから依頼され、耳元にスマホつけ祈りました。終わると、娘さん曰く「母の顔が変わりました。優しい顔になりました」と。神は、あなたを知っておられる。神に帰ることです。神は責任を持って守ってくださるのです。