聖書箇所 エペソ4:16
4:16 キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。
説教要旨
年間聖句使徒2:41~42を覚え「教会」を見ております。前回は「聖なる神の民」を見ました。本日は「キリストのからだ」を見ていきます。本日の御言葉は、長い文となっていますが、主文は「からだ全体は…成長する」です。その冒頭に「キリストによって」直訳は「キリストから」との言葉があります。「教会はキリストのからだ」とは、第一に私たちは「イエス・キリストに結び合わされている」ということです。イエス・キリストは王として万物を治めておられます。とりわけイエス・キリストは教会に満ちておられます。(エペソ1:20~23)イエス・キリストは教会のかしらで、教会はキリストのからだでイエス・キリストが満ちておられるところです。枝である教会また私たち一人ひとりは、ぶどうの木であるイエス・キリストからいのち(愛と力)をいただいているのです。(ヨハネ15:5)
「教会はキリストのからだ」とは、第二に私たちは「互いに結び合わされている」ということです。「組み合わされ、つなぎ合わされ(v16)」教会はキリストのからだであって、私たち一人ひとりは各器官です。(Ⅰコリント12:27)ある人は目、ある人は耳、ある人は手、ある人は足です。では、どのように組み合わされているのでしょうか。一つは「あらゆる節々を支えとして(v16)」とあります。「節々(v16)」は「感触」との言葉です。「支え(v16)」は「供給」との言葉です。ある聖書では「必要なものをもたらす互いの触れ合いを通して」と訳しています。イエス・キリストから愛を受けて互いに供給し触れ合っているのです。いま一つは「それぞれの部分がその分に応じて働くことにより(v16)」とあります。イエス・キリストから力を受けて一つひとつの部分が自分の働きを果たしていくのです。人の目にはどんなに小さな奉仕であっても教会を建て上げています。
互いに触れ合い供給し合うことを通して、それぞれの分に応じての働きによって「からだ全体は…成長し(v16)」「成長する」とは人数が増えるということもあるでしょう。(使徒6:7等)でも「かしらであるキリストに向かって成長するのです(v15)」とあります。教会と私たち一人ひとりの性質や歩み(働き)がイエス・キリストの性質や歩み(働き)のようになっていくことです。全体も私たち一人ひとりも造り変えられていくことです。「成長し(v16)」は現在形で継続を表します。それは途上であるということでもあります。教会は弱さもあります。しみやしわがあります。でも教会は成長しています。愛の内に建てられていきます。しかし、誤解のないようにしたいのです。私たち自身が最終的に教会を建て上げているのではないのです。「キリストによって(v16)」です。キリストからです。触れ合い供給し合う生命源は、分に応じて働く活力源はイエス・キリストです。イエス・キリストは万物をすべ治めておられます。とりわけ教会に満ちておられます。イエス・キリストは私たちを愛し、いのちを捨てて贖い、養い育ててくださるのです。(エペソ5:25~29)使徒信条で「我は聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」と「教会を信ず」と告白します。これは父、子、聖霊なる神を信ずる信仰とは違います。地上の教会を神と同じように信頼することは残念ながらできません。私たちを愛してやまない主イエス・キリストが今日もなおご自分の教会を集め、守り、保ってくださる。養い育ててくださる。このイエス・キリストの御業を信じることが「教会を信ず」との信仰告白です。
イエス・キリストのからだなる教会に連なる者とされたことを感謝し、互いに供給し触れ合うことを通し、また分に応じて働くことにおいて組み合わされ、キリストのからだなる教会をともに建て上げていきましょう。主イエスは私たちを愛してくださっておられます。主イエスは私たちを養ってくださっておられます。主イエスは愛の源であり、力の源です。教会を建て上げてくださるイエス・キリストの御業を信頼し、ともに建て上げられる喜びの中に生きていきたいと願います。