聖書メッセージ 『私たちの必要を求める祈り』(ルカ11:3~4)

聖書箇所  ルカ11:3~4

11:3 私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。

11:4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。

 

説教要旨

イエス様は「祈りを教えてください」と求める弟子に「神の栄光を求める祈り」に続いて「私たちの必要を求める祈り」をお教えになられました。 

 

「私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください(v3)」私たちの体の必要のために祈るよう教えられました。糧が与えられるように、健康が守られるように祈る祈りです。天の父なる神は私たちの体を守り、養ってくださるお方です。日々の歩みの中で見える部分は、確かに私たちが労苦して働き、糧を得て生きています。しかし、見失ってはならないのは、天の父なる神が一日一日私たちに命を与え生かし、健康を支え、働きをなさせ、私たちの働きを通して糧を与えてくださっていることです。

 

第二は、私たちの魂の必要のために祈るよう教えられました。私たちの魂の必要の祈りの第一は「罪の赦しを求める祈り」です。「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します(v4)」この祈りは、神さまを「父よ」と呼ぶ弟子たち、クリスチャンが祈る祈りです。クリスチャンは神が私たちの罪の身代わりに御子イエス・キリストを十字架で裁かれ成し遂げてくださった救いを信じ、神の前にすべての罪が赦されたのです。神は「もうあなたの罪を思い出さない」とおっしゃってくださっておられます。神の赦しは完全です。でも、イエス様は弟子たち、クリスチャンに罪の赦しを祈るよう教えられました。人間の親子のことを考えたいのです。親が命じたことを子が破ったとき、子は親に「ごめんなさい」をします。それは受け入れられていないからではありません。見捨てられる恐れからでもありません。赦しを求め、赦され、親との喜びの関係の中に再び歩み出していくためです。クリスチャンは罪の全き赦しを受けた者として、神の御旨を悲しませ、関係にひずみが入ったときに、ごめんなさいをし、神の喜びの関係の中を再び歩んでいくのです。神はその罪を赦し、ご自身との豊かな喜びの関係の中を歩ませてくださるのです。そして、罪の赦しを神に祈るときに、「私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します(v4)」と祈ります。これは私たちが人を赦していることを条件として私たちの罪の赦しを求めているのではありません。私たちの人に対する赦しは不完全です。それでも神に赦された者として、赦しや忍耐の中に生きています。生きようとしています。生きようと戦っています。「こんな罪深い弱く小さな私たちが赦しに生きているのですから、完全な憐れみに満ちた神さま、どうか私たちの罪を赦してください」との祈りです。私たちの魂の必要の祈りの第二は「私たちを試みにあわせないでください(v4)」です。「試み(v4)」とは、誘惑です。私たちは罪の赦しを求め、そして誘惑にあわせないでと祈るのです。私たちは自分がいかに誘惑に弱い者であるのかを知っています。誘惑にあったらどれほど揺れ動いてしまう者であるかを覚えています。ですので誘惑にあわせないでと祈ります。

 

主イエスは「主の祈り」において「まず神の栄光を求めよ、しかし、それだけではない。私たちの体と魂の必要を遠慮せず求めよ」と教えられています。イエス様は神の御子であられましたが、人となってこの地に来てくださいました。罪は犯されませんでしたが、すべての点で私たちと同じようになられました。イエス様は体の疲れ、病、糧を得る厳しさをご存知でした。イエス様はサタンの誘惑の強さと巧みさをご存知でした。だからこそ私たちに体と魂の必要のために祈るよう教えられたのです。主イエスの私たちへのご配慮と愛の深さを覚えます。この週一日一日自らの体と魂のために、教会の兄弟姉妹の体と魂のために、私の隣人の体と魂のために遠慮せずに父なる神に求めていきましょう。