聖書メッセージ『証しの教会』 (使徒2:47)

聖書箇所 使徒2:47

2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

 

説教要旨                   

「教会の歩みを整える」との主題で2024年御言葉に聴いてきました。次週より待降節に入りますので年間聖句を直接覚えるのは本日を一区切りとします。本日は「証しの教会」を覚えて参ります。「民全体から好意を持たれていた(v47)」初代教会は同胞のユダヤ人から好意や尊敬を得ていました。(5:13)聖書は私たちに「すべての人と平和を保ちなさい(ローマ12:8)」と教えます。Ⅰコリント14章では、初めて教会に来た人が異言で祈っているのを見てびっくりしてしまうことがないように配慮することを教えております。使徒の働き17章では、ギリシアの神々を拝んでいたアテネの人々にパウロは福音を告げましたが「宗教心の熱い方々(使徒17:22)」と呼びかけています。蔑んだり、攻撃的ではありませんでした。教会は、クリスチャンは、謙虚に歩み、社会から信頼を得つつ、地に足をつけての歩みがとても大事なことであるのです。

 

でも、初代教会は2章ではユダヤ人から好意を持たれていましたが、続く3章や4章ではユダヤ指導者から迫害を受けています。8章では、「エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた(8:1)」とあります。12章では、ヘロデ王は政治的策略からヤコブを殺害し、ペテロを捕らえました。ユダヤ人に限らず、パウロの伝道旅行においてマケドニアのピリピや小アジアのエペソにおいて異邦人に福音を伝え、異教の神々に仕え利益を得ていた者たちからも迫害を受けました。教会が建つべきところは聖書です。人々の方にすり寄っていくことはしません。福音を語る方法は時代に合わせ変わっていきますが、福音そのものは変えてはなりません。神に対する悔い改めとイエス・キリストへの信頼を語ります。そういう中で教会は戦いの中に置かれます。パウロは謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました。(20:19~21)そうした戦いの中にあったパウロと主はともに傍らにおられ絶えず立ち上がらせていかれました。(18:9~10、23:11)主は、主の証人として歩むことに恐れたり、意気消沈したりする私たちにもともに傍らにおられ御言葉をもって慰め勇気づけてくださいます。主の宣教命令に応答し続けていきたいと願います。

 

教会は外への働きをなしていくと同時に、大事なことは教会が御言葉と交わり、パン裂きと祈りに専念し、主を恐れ、愛、喜び、平安の教会として霊的に整えられ続けていくことです。そこに主は一人の人を送られ救いに導かれ加えられていかれるのです。主語は「主(v47)」です。私たちが何かをしたからということではなく、主ご自身が人を救い、救われた人を教会に加えられていく働きをなしてくださるのです。私たちがなしている主のわざは決して無駄にはならないのです。実が見えなくとも家族の救いと信仰継承を祈っていきましょう。教会学校に来ている子どもたちにその時その時に愛の声をかけ祈り続けていきましょう。チラシ配布を継続していきましょう。私たちの一日一日の変わらないような歩みなのだけれども主の証しの働きにお仕えできますようにとの祈りを持ち続けて歩んでいきましょう。主の教会を大切にして、最大の奉仕は礼拝者としてそこに存在していることであることを覚え、互いの交わりや声かけをなし、自分ができる部分で奉仕をなし、ともに主の教会を建て上げていきましょう。恐れや失意の中でともに傍らにいて「宣教の働きを」「教会を建て上げる働きを」と語られる主イエスの御声に聴き強められ、謙遜に忍耐強く歩み、主にお仕えしていきましょう。

 

主ご自身の宣教の働きです。主イエスの十字架の福音を宣べ伝えていく、教会が霊的に整えられていく、そこに主が一人ひとりを加え教会を建て上げてくださることを喜びとする「証しの教会」として歩んでいきましょう。