聖書メッセージ 『すべて心に納めて』(ルカ2:17~19) 

聖書箇所  ルカ2:17~19

2:17 それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。

2:18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。

2:19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

 

説教要旨

2024年最後の主日礼拝を迎えました。マリアの信仰の姿を見ていきます。ローマ皇帝の住民登録の勅令の中で、マリアはベツレヘムでイエスを生み、飼い葉桶に寝かせることとなりました。自分の思いとは全く異なったでしょう。受胎告知において御使いから受けたことは生まれてくる子は「大いなる者」「いと高き神の子」でした。マリアの歓喜の賛美はどこかに行ってしまったように見えます。その中で羊飼いたちが訪ねて来て「幼子について自分たちに告げられたことを知らせた(v17)」のでした。羊飼いたちは御使いが自分たちに現われたこと、自分たちのために救い主が生まれ布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごが救い主のしるしであることを告げたことでしょう。天の軍勢が現われ、この出来事について神を高らかに賛美したことを告げたことでしょう。

 

「聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた(v18)」「驚く(v18)」との言葉は、並々ならぬことに接した時の率直な反応です。この言葉自体には信仰的な態度とか、不信仰な態度とかということはありません。「しかし、マリアはこれらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた(v19)」「納める(v19)」との言葉は「全く守る」「全く保持する」との言葉です。「思いめぐらす(v19)」との言葉は「考え合わせる」との意味です。「こられのことをすべて(v19)」です。ここでの羊飼いたちの言葉に留まらず、御使いの受胎告知、これまでの出来事、メシア預言を考え合わせながら、心のうちに納め続けたのです。これがマリアの信仰の姿でした。(v51参照)そういう中で、マリアは最初にクリスチャンになった人々の一人となっております。(使徒1:14)信仰者として実を結んでいったのです。そしてこのルカ福音書1~2章はルカがマリアから聞き書いたと考えられています。

 

2024年を終えようとしています。この一年も神の言葉に聴き導かれてきました。私たちに与えられている神の約束があります。神が顧みてくださった出来事に歓喜の賛美をささげたことがありました。一方で自分の願いとは異なる中を通らされ、悲しみ苦しんだことがありました。未だに「神さまのご計画はどこにあるのでしょうか」と理解できないこともあります。私たちは嬉しい出来事があれば嬉しいですし、悲しい出来事があれば悲しむ者です。それが私たちの当然の反応とも言えます。でも、私たちの信仰の歩みは、もう一歩そこから深められていかなければならないこと、深められていくことを聖書は教えています。御言葉、起こってくる出来事や状況を考え合わせながら心のうちに納め続けておくことです。理解できないことは理解できないこととして心に留め続けておくことです。主の御前においてです。(詩篇77:12)状況や人の言葉にただ即反応していく歩みではありません。直ぐに何かの答えを出そうとするのでもありません。理解できないことはそのまま理解できないこととして心に留めておきます。そのまま主の前に置いておきます。そういう信仰の姿勢が私たちを成長させていきます。主イエスに似る者とし神の働きに用いられていく歩みへと導かれていくのです。そうした信仰の姿を取ったマリアの下支えとなっていたのは、御使いがマリアに最初に告げた言葉だったでしょう。「主があなたとともにおられます(1:28)」主は確かにマリアともにおられ導かれたのでした。

 

主は私たちに語っておられます。「わたしはあなたとともにいる。あなたを導いている。だから、わたしの前で、御言葉と出来事や状況を考え合わせながらあなたの心に納め、わたしとともに歩んでいこう。そういう中でわたしはあなたを育む」一年の主の恵みを感謝し、また御言葉と状況を私たちの心のうちに納め続け心に留め続け主への信頼をもって一年を終えていきましょう。 「主があなたとともにおられます(1:28)」