聖書箇所 ヨハネ14:1~7
14:1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
14:4 わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」
14:5 トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」
説教要旨
主イエスはご自身がおられなくなること、弟子たちとペテロはご自身についていくことができないことを語られました。弟子たちは主イエスの言葉を十分理解できなかったことでしょう。でも、主イエスが自分たちから離れ、自分たちは主イエスについていくことができず世に残されることは感じ取っていたことでしょう。そのような弟子たちに主イエスは語られました。「あなたがたは心を騒がせてはなりません(v1)」原文では「心(v1)」が主語となっており、「騒がせてはなりません」は受身の継続を表す形で「心が騒がされ続けてはならない」です。起こって来る出来事や周りの状況によって心がかき乱されることが想定されています。かき乱されることはある。恐れることはある。でも、そのかき乱されることや恐れの中に留まり続けることを許してはならないと仰せられました。「神を信じ、またわたしを信じなさい(v2)」主イエスがそのように仰せられたのは「今はついてくることができません。しかし後にはついて来ます(13:37)」と、悲しみの出来事の向こう側に確かな希望を見つめておられたからです。ご自身は死んで終わりではなく、復活して父のみもとに行く。父なる神とご自身は弟子たちに聖霊を送られ弟子たちを立ち直らせていく。だから今の苦しみだけを見つめてあなたがたの心が恐れの中に留まらせることを許してはならないと仰せられたのです。
続いて、主イエスは悲しみや苦しみの向こうにある「最大の最終的な希望」をお語りになられました。(v2~v3)主イエスは十字架で死なれ、復活され、父のみもとに行かれ、再び来られ、弟子たちを父のみもと、天の住まいに導くと仰せられました。私たちの真の居場所は天の父のみもとです。この世には艱難がある。信仰ゆえの戦いがある。私たち自身の罪との戦いもある。でも、ちゃんと天の御国、天の父の家の住まいが私たちに用意されているのです。
主イエスは仰せられました。「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています(v4)」これに対しトマスは尋ねました。彼は正直です。曖昧にしない者です。どこへ行き、どの道を通っていくのか知らないと。主イエスはお答えになられました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとへ行くことはできません(v6)」ご自身がどこへ行くのか。父のみもとだと。そして父のみもとへの道とはご自身であると。私たちはどうしたら父なる神のみもと、天の御住まいに行くことができるのでしょうか。イエス・キリストを通してです。イエス・キリストが十字架に架かり、私たちの罪の償いの業を完了し、神への道を開いてくださったからです。但し主イエスは橋渡しをなされる道というだけではありません。主イエスは父のみもとへの道を私たちとともに歩き先立って導いてくださるのです。(10:3~4)どのように導いてくださるのか。主イエスは御言葉によって父のみもとへ、いのちへと導いてくださるのです。(10:4)ですから「道」の後に「真理」の御言葉がきて、「いのち」がきているのです。(v6)今日の箇所でもv3がありそのままv6があればスムーズです。でも、主イエスは弟子たちが知らないのを知っておられながら、「わたしがどこに行くのか、その道を知っています(v4)」と仰せられ、トマスの質問を引き出させ、さらにはっきりとご自身を教えようとされています。(v7~v9も参照)主イエスは真理の御言葉を語られ、そこで疑問を持たせたり、考えさせたり、反発を起こさせたりさせ、人格的に関わりながら私たちをいのち、天の御国へと導いてくださるのです。
真理の御言葉に導かれ、神がこの悲しみの後に最善の道をそして最終的な真の居場所、天の御国をご用意くださっておられることを信頼し、心が恐れの中に留まらせることを許さないで歩んでいきましょう。